UVERworld『七日目の決意』歌詞解釈~神から平等に与えられたもの~

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久しぶりにUVERworldの歌詞解釈してみようと思います。
『七日目の決意』、ニューアルバム0 CHOIR(ゼロクワイア)にも収録されているこの曲、初めて見た時に「おっ」と日本語のタイトルに目を引かれた人も多いのではないかと思います。

・・・これは良曲の予感‼
サウンドは心地よく申し分ない・・・が、歌詞がダラダラと長いし今までと同じような内容で歌い方もしつこい。

『君は冬の夢を見て鳴く蝉』

今までになく斬新且つ心を捉える表現だと思ったが長ったらしい歌詞の綴り方でせっかくの曲が台無し、っていうのが正直な感想でした。

でもそれでもなぜか聴かずにはいれずに歌詞を自分なりに分析してみてようやく意図がわかったような気がしました。

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7日目の決意は今までと歌詞が違う!


今回、変わったなと思ったことは今まで攻撃的だった歌詞に優しさが加わったこと。
今まで立ち止まることを良しとしなかった(たぶん)が

“今は全て忘れてもいいよ”

と休息とも読み取れる言葉、そして

“一番大事な事は 叶うとか叶わないじゃない”

という夢は叶わなくてもいいという言葉には衝撃を受けました。

そしてこの曲は全体を通して悲しみ、死、周りとの比較に関連する言葉が多いことも印象的でした。

私がこの曲の中で好きな詩は

7日目の夜も 夢を願う時だけは少し強くなれたんだね

美しいと感じたのは「少し」という言葉が入っていること。

この一言が入っているだけで死を目前にした蝉が衰弱しながらも必死に最期まで自分を叫ぼうとしている情景を思い浮かべることができます。
もし「少し」ではなく“もっと”とか“いつも”という言葉だったら蝉が衰弱している様子は表せなかったと思います。

それでは歌詞を見ていきます。

頭の中で映像が浮かぶ言葉選び


7日で世界を創造した
地震の一週間前に座礁して行くイルカの群れと
週末の東京駅 毎週泣いてるあの子との7日じゃ
どれが一番長いかな?


まず神が世界を創造したという聖書の天地創造から始まり、座礁したイルカ、泣いてるあの子との時間の長さの比較をし物事の相対性を表している。

さらに“世界を創造した”という言葉から
宇宙や地球を頭の中に思い浮かべることができ、
“イルカの群れ“で海を、そして最初にあった
“蝉”で木や森をイメージできるようになっている。
イントロ~Aメロ間のドラムの重低音とクラップは地球の自然や大地の鼓動、力強さを表しているように思えました。
地球→海→森と自分の頭の中で美しい自然を脳内再生した後で一気に私たちの視点へ戻すかのように
“週末の東京駅”という言葉がやってくる。

こういった言葉が持つイメージを通して私たち人間も自然や動物と同じく例外なく神の作った地球の一部なんだよって意味が込められているのではないでしょうか。

そして“どれが一番長いかな?”の答えが祖父が言ったように“全てはお前次第”相対性理論のように時間の感じ方は人それぞれである。



何を頑張ったのか?


10代最後の日に あと一年頑張って何も変わらなかったら
もう人生ごと終わらせようと思ってた でもそれも出来なかった
きっと本当の死ぬ気の覚悟も知らず 生きてきた


はぁ?と最初思ってしまった。いきなり何を頑張りだしたの?
前振りもなくただ、“頑張った”だけ言われてもわからんがな。
と思ったら前の文の祖父の言葉を受けて死ぬ以上の悲しみは自分に何もないことだと解釈してたのね。
まあ全てはお前次第って言われたからね。

何もないから悲しいというのはTHE OVERの歌詞を思い出しますね。
この主人公は死ぬよりも何もないことの方が悲しくて堪らなかった、だから変わるため(夢を探すため?)に死を背負うことで自分を追い込み“なにかを”頑張ったんですね。
いかにも10代らしいがむしゃらな感じが出ています。

君は冬の夢を見て鳴く蝉
明日こそ願いが叶う事を信じて 7日目を生き抜くんだね
なあ 僕達もそんな生き方していたいよな?
明日からでもなく 何かの記念日でもなく
どうしようもなく涙が出てしまった今日から変わって行けば良い



“どうしようもなく涙が出てしまった”というのは大事なことなのにどうしようもないから涙が出てしまった。
イントロのサビ

“いつかまた 大事な事だけを思い出せば良い”

ここの大事なことを思い出したわけですね。
自動的に地球が回るように時間も同じように過ぎて行きいろんなものを奪っていく、それで本当に奪われたくない大事なことに気付いたら変わっていけばいい。
無理しなくていい、地球の流れに身を任せていいんだよという優しい言葉が込められている。

なぜありのままに生きられないのか


君は冬の夢を見て鳴く蝉
悲しくなんてないよ 一番大事な事は 叶うとか叶わないじゃない
欲しかった物は 此処に無い未来や過去じゃなく
その気持ちを失った時に 僕が僕じゃ無くなってしまう…
そう思える そんな生き方を



2番は恵まれた環境とそうでない人との比較から始まり自分らしく生きることの大切さを訴えかけているように見えます。

サビで何度も出てくる「冬の夢を見て鳴く蝉」
これだけ見るとなんとも酷く悲しく憐れに思えてなりません。
だって叶うはずない夢を見て7日で死んでしまうのだから。
しかしそれは悲しくなんてないと言う。
大事なことは叶うことよりも自分らしく生きること。

ここで“死”について少し考えてみました。
人は死ぬことを知っているから何かを手に入れたり叶えたりすることができると他の記事でも書きました。
死が私たちにもたらすものは他にもあるのか?

もし明日死ぬとしたらきっと多くの人は仕事や学校なんて投げ出してやり残したことをやることでしょう。
そうしない人はすでに自分の居場所を見つけて自分らしく生きている人だと思います。
それではなぜ死を目前にするとそんな思い切ったことができるのか?

それは自分を縛るものが何もなくなるからに他ならない。
お金、周りの目、名誉、羞恥心、下手なプライド、全て死の向こうへは持っていくことはできない。
これらの縛りから解放された時に残るものはありのままの自分。
こうして見るといかにありのままの自分の上にいろいろ着飾っているか、どれだけ周りを気にしながら生きているかがわかります。

私たちはどうしても周りの人から嫌われたくない、認められたい、怒られたくないということから周囲に合わせて生きてしまいがちです。
それは自分の人生を生きずに、他人の人生を生きているということだ。

これは日本の教育が他人に悪いことや迷惑をかけると罰せられるという風習がありそれが体に染み込んでいるからだと思うのです。
誰も叱られたり怖い思いをしたくない。子供の頃からそんな教育を受けていくうちに次第に人は当たり障りのないことしかしなくなる。

それとは逆に成績の良い人は褒められたり報酬が与えられるように教育を受ける。
この教育がお金をたくさん稼いだ人が偉いとか1位を獲った人が素晴らしいとかという錯覚に陥ったり、褒められたいから自分を殺してまで良い子にしているといった人たちを生み出している。
周りと比べてどうかじゃない、そんなことはわかっているけど本当の自分を出したら嫌われてしまう。
でも嫌われたって孤独になったって別に死ぬわけじゃない、そう思えば少しマシじゃないでしょうか?
だって本当に死にたい人なんてどこにもいないのだから。



Living Dead


この曲の歌詞には至る所に比較を表す言葉が使われています。
嬉しくて泣いてる人も~から続く詩も比較を表していますよね。

冒頭の歌詞で地球や海や森、そして生き物をイメージさせる言葉を使ったのも比較を表すためだったんですね。
地球にはさまざまな植物、生き物、そして人間にもさまざまな人がいてみんなそれぞれ命があり思い思いに生きている。
自分を自分たらしめているものが気持ちや心、夢であり、それを行動にうつすことで自分を叫ぶことが出来る。
死ぬ以上の悲しみはこの世にはない、だから自分を叫ぶのも怖くない。
周りに合わせて自分を殺して生きるならそれは文字通り自殺であり死ぬ悲しみと同じである。

妙な偶然かブログの作成中にこんな言葉に出会いました。

“羨望が無知であり 模倣が自殺であり、よかれあしかれ、与えられた自分自身を
そのまま受け入れるべきであるということを、誰しもが理解した時が、
全ての人の内的成長の時である”

ラルフ・ウォルド・エマソン



UVERworldの「Let it go」


歌詞の最後の方は“7日目の夜”といっているので死の直前であることがわかります。
これは冒頭の世界創造から「生」が始まり最後に「死」を迎えるというように歌詞の構造が成り立っています。
計算された素晴らしい歌詞です。

神が7日で創造した世界には当然、人間も含まれています。
ということは生き物が死ぬように創ったのも神ということになります。

ならば死は人間がありのままに生きるために神から与えれた唯一平等なものではないでしょうか?

この「七日目の決意」は映像的な歌詞とストーリーを盛り込んだTAYAKUが綴る渾身の「let it go」ではないだろうか。
“ありのまま”、“夢”、“死”というテーマは昔から歌われていたことでしたが選ぶ言葉とその綴り方でこんなにも心への響き方が違うんですね。

ありのままに生きること、これは私の願いでもあります。
私は『七日目の決意』を聴いて周りにどう思われようが上司に怒鳴りつけられようが別に死ぬわけじゃないと思ったら気がラクになりました。

みなさん、どうかありのままに生きること、自分だけにしかないものが必ずあるということを忘れないでください。
この曲が伝えたいのは
“今日を人生最後の日だと思って生きよう”
という意味だけではなく
“死ぬことと比べたらありのままに生きることも怖くない”
ということ。

神から与えられた“自分”という存在、その自分の人生を生きずに他人の人生を生きる者に神が手を差し伸べるだろうか?
自然、動物を見てもみんなありままに生きている。自分の人生を生きないということは自然の法則にも反することになる。
最後まで忘れないでください、人間もありのままに生きることが在るべき形であることを。

その最後まで 忘れたくないよ
夢を願う時 少し強くなれる僕らの日々


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この記事へのコメント

2014年08月23日 00:13
歌詞解釈というか

自分の薄い考え方を、他人の歌を媒介にして誤魔化してるようにしか思えませんでしたまる
カワラ
2014年08月23日 13:54
>んさん

コメントありがとうございます。
私の歌詞解釈はいつも曲を通して自分の気持ちや考え方を伝えるようにやっています^^;
Lily
2014年10月13日 11:48
こんにちは^ ^
久しぶりにコメントします。

カワラさんの歌詞解釈は繊細な観点から思考を張り巡らせていて、
個人的にとても好きだなって毎回思います。

いつも素敵な歌詞解釈ありがとうございます。

おこがましいことですが、
価値観や感覚は個々それぞれにあって、
嫌悪感だけの意見があっても
歌詞解釈やめないで欲しいなって思います(^_^)

また楽しみにしてます。
カワラ
2014年10月15日 14:57
>Lilyさん

お久しぶりです!
そういっていただける方がいることで私もブログを続けることができてます。
本当にありがとうございます!

また見に来てもらえたら光栄です(^^)
あああああ
2016年11月19日 06:40
うざい解釈だ
カワラ
2016年11月20日 05:03
>あああああさん
たしかに長ったらしい文章で見づらいところもあるかもしれません。
もし歌詞に問題ありましたらどこがうざいのか指摘してもらえると助かります。
何はともあれ読んでいただきありがとうございます。